カメラの仕組みがざっくり分かる!超カンタンな歴史をまとめた。

2020年8月25日

カメラの仕組みは、突きつめて調べるほど意味不明さが増していく。

なぜならカメラは機械だから。

ゴリゴリの理系で専門用語ジャブジャブだから。

私のような文系にとって、大事なのはおおまかな仕組みだ。

おおまかな仕組みを知るにはカメラの歴史がうってつけ。

というわけで、たまに出会う超わかりやすい記事や本などを参考に、備忘録としてざっくり(超ざっくり)まとめてみた。

そもそも写真って何?カメラって何?

写真とは、光を記録したもの。

カメラの仕組みを理解するためにはこの前提がだいじ。

たとえば真夜中、めっちゃ深い森の奥にいたら暗くてなにも見えない。

暗すぎて自分の足も見えないし、そこで写真を撮ってもまっくろ。

写真は光がないと撮れないのだ。

言い換えれば写真とは、光を記録したものなのである。

つまりカメラとは光を記録するためのマシーン。

さて。

昔のカメラはとてもシンプルだった。

とりあえず1000年ほど時間を巻き戻してみよう。

壁に景色がうつる部屋(~15世紀)

カメラのはじまりは「暗い部屋」である。

天気のいい原っぱに、人がひとり入れるサイズの暗い部屋を置き、壁に小さい穴を1つ開ける。

すると、その小さい穴から部屋の中に光が差しこんでくる。

そして穴と反対側の壁には景色がさかさまにうつる。

部屋に光が差しこむまでは分かるけど、なぜ壁にうつる景色は逆さまなのか。

そこを理解しようとすると理系の話になる。

調べたのだが、見つけた情報たちを一言でまとめると「そういうものだから」になった。

そういうものだから。

たとえば私は重力のしくみなんて全く分からないけど、リンゴが木から落ちても不思議に思わない。そういうものだから。

深追いしないのが吉。

というわけでこの、さかさまの景色。

きれいになぞり描けば本物そっくりの風景画になる。

そう、カメラはなぞり描きから始まったのである。当時の画家たちは「マジできれいに描けるじゃん」と重宝したらしい。

これがカメラのはじまり。

ラテン語で「カメラ・オブスキュラ」という。

カメラ=部屋、オブスキュラ=暗い。

レンズくっつけてみようぜ(16世紀)

壁に景色がうつるとはいえ、小さい穴から差しこむ光なんてほんのちょびっと。

壁の景色をなぞり描きながら画家たちはこう思っていた。

「暗いんだけどコレ」

そこで16世紀になると、もっと景色を明るくうつせるという理由で、箱にレンズをくっつけ始める。

そんな感じで進化しつつもこの時点ではまだ、うつしだされた景色を「なぞり描く」だけ。

このまま形にしてやるぞ(1827年)

「なぞり描きするんじゃなくて、うつってるコレこのまま形に残せないの?」

という絶対ムリそうな試みはなんと成功した。

1827年、場所はフランス。

とある兄弟が「光を記録できる板」を生み出したのだ。

具体的にいうと金属の板にアスファルトを塗ったもの。

アスファルトの「光にあたると硬くなり水に溶けなくなる」という性質をうまいこと利用して、光を記録したのである。

こうして世界最初の「写真」は登場したのだった。

もちろん景色はさかさまのままだけど、景色を形にできるなんて大発明だった。

が。

問題もあった。時間がかかりすぎるのだ。

8時間も板に日差しを当てつづけてようやく1枚できあがるなんて、不便すぎてぜんぜん実用的じゃない。

「もっと短い時間で何とかならないの」

と頭のいい人たちは考えまくった。

どうすればもっと素早く、もっとキレイに光を記録できるのかという競争がスタートしたのである。

短時間でなんとか頼むよ(1839年)

アスファルト以外にも光を記録できるものはたくさんあった。競争のさなか、いったん王者があらわれる。

「ダゲレオタイプ」と呼ばれる技術だ。

光を記録するために使うのは、銀メッキした銅板。

この技術、光を記録しただけでは板に何が写っているのか見えない。

なので光を記録したあとの板を取り出して、水銀(めっちゃ毒)などをうまいこと使って目に見えるようにするという技術だった。

この技術の登場によって板に光をあてる時間は30分でオッケーになった。

スバラシイ。

30分くらいならカメラの前にいてもいいかなということで、人物の撮影が流行った。

しかもとてもキレイに記録できる。当時の画家はダゲレオタイプの写真を見て「今日を限りに絵画は死んだ」とまで言ったらしい。

こんなに素晴らしい技術だけど、やはり問題点もある。

まず、相変わらず景色はさかさま。カメラがうつし出すさかさまの景色を、そのまま板にベシッと記録しているからだ。

そして相変わらず1点モノ。板にそのままベシッと光を記録しているだけなので、同じ写真を何枚も複製することはできないのだ。

さかさまじゃない!1点モノじゃない!(1841年)

カメラがうつしだすのは昔からかわらず「さかさま」の景色。

ならば、さかさまに記録した板をべつの板に押し付けて、ハンコみたいに「さかさまじゃない写真」をゲットすればいいんじゃないか……?

という新しい技術が登場した。

紙には化学物質が色々塗られてる

この技術を「ネガポジ法」という。

この方法なら写真はさかさまじゃない。

そして何枚も紙を押しつければまったく同じものが何枚でもゲットできるので、1点モノでもない。

しかも嬉しいことに、光を記録する時間は1~2分まで短くなっていた。

写真はすさまじい進化を遂げていく。

なんやかんやある(~1888年)

さっきネガポジ法では、光を記録する部分がそれまで板だったのに、しれっと紙に進化していた。

この時代、金属やら紙やらガラスやら、頭のいい人たちは色んなもので光を記録しようと試していた。

「光を記録できる物質」も「記録した光(そのままでは見えない)をちゃんと見えるようにするための方法」も、すごい勢いで発明され、そして改良されていったのだ。

そして1988年、ついにアレが登場する。

フィルムの登場(1988年)

ネガポジ法でご紹介した、

コレ。

ネガをつくるときの紙(=光を記録する紙)に注目してみよう。

光を記録してネガをつくったあと

この紙、

光を記録するまえ

1枚じゃなくて

何枚もつなげてクルクル巻いたら入れ替えの手間なくたくさん撮れる。

ということで、フィルムの登場である。

フィルムカメラまで進化すると、なんだか見たことあるような雰囲気になってくるんじゃないだろうか。

フィルムが登場したあと、カメラは急速に大衆へと広がった。

がんがん進化して性能を上げながら価格はどんどん下がり、みんながジャンジャン写真を撮るようになったのだ。

ついに光をカラーで記録する方法が発明され、カラー写真も登場する。

デジタルカメラの登場(1990年)

そして、このフィルムの役割をデジタルの力でうまいことやってしまおうというのが、デジタルカメラだ。世界で初めて店頭に並んだのは1990年のこと。

デジタルカメラの中身はこんな感じ。

➀光をべしっと記録し、➁③それを目に見える形に変えて、④保存しておく。

大まかな流れはずっと昔から変わっていないのだ。

まとめ

カメラはぐんぐん進化しているので、カメラの中身はどんどん複雑になっている。

えげつない。

ぜんぶちゃんと理解しようとしても全然無理だしまっしろに燃え尽きてしまった。おおざっぱくらいが私には丁度よかった。

素人の備忘録なので間違いもかなりあると思うけれど、ぜひご参考までに。