ぬい撮りをする私の心理4つ

ぬい撮りをする私の心理4つ

➀ブログを書いているから

私のぬい撮りは、つきつめると「ブログ記事に載せるための写真」である。

シルバニアのレビュー記事を書こうと思いたった時、きれいな写真を添えたいと思ったのだ。

ブログを書いていなかったらぬい撮りは始めなかったかもしれないし、始めたとしても続かなかったと思う。

しかしブログをやっていなかったらぬい撮りが続かないばかりかやることが無さすぎて私の人生も続かなかったと思うので、ブログにもぬい撮りにも感謝である。

➁ヒマだから

何かに凝るということは、それだけ時間とエネルギーを注ぎこむということだ。

ある程度は時間にも心にも余裕がないとしんどい。

私のヒマは筋金入りで「虚空を眺めるかわりにブログを書く、その記事に載せるためのぬい撮りをする」というレベルでブログ以外にやることがない。

私の場合それくらいヒマじゃないと落ち着いてエネルギーを注ぎ込めないとも言える。基本的に器が小さいんだと思う。

③「想像を形にしたいから」

私がぬい撮りをしながらワクワクするのは、自分の想像の世界を形にできるからだ。

子ども時代は「もしシルバニアファミリーが生きていたら」という空想をもう完全に前提としてごっこ遊びしていた。

ごっこ遊びのなかでシルバニアファミリーは間違いなく生きていたのである。

しかし大人になった今、シルバニアファミリーは生きていない。

それでも写真を撮ってみたら「まるで生きているみたい」に見えるじゃないか。

あの頃の空想をそのまま召喚したみたいじゃないか。

私はそこにハマった。

現実ではありえない想像の世界を可視化できるというのは、とても楽しい。

④ひとつの手段だから

ブログを充実させるための手段、自己承認欲求を満たす手段、同じカテゴリを好きな人たちと親しくなるための手段。

もちろんぬい撮りそれ自体にも楽しさを見出してはいるけれど、自分をよくよく振り返ってみれば「自分のぬい撮りをだれかに見てもらう」という部分のほうに意味を見出している。

Twitterを見ていても、ぬい撮りのできばえ自体にこだわっている人は少ない。

それよりも自分にハンドルネームをつけて現実世界から離れ、同じ趣味を持つ人たちのあつまる空間で写真を投稿し、交流し、その癒し空間に触れることを楽しんでいる人が多いように思う。

ぬい撮りはなぜ「痛い」「気持ち悪い」「嫌い」と言われるのか。

ぬい撮りを「気持ち悪い」と言う人は結構多いらしい。

なぜだろうとググってみたところ「ぬい撮りって気持ち悪い」という意見には、必ずしも攻撃的な悪意が込められているわけではなかった。

思ったよりもシンプルな愚痴が多かった。

たとえば二人連れでカフェに行ったとき。

Aさんがぬい撮りをはじめ、Bさんが「みんな見てるよやめてくれよ……」と冷や汗をかいていたら、Bさんのなかでぬい撮りに対する嫌悪感は爆上がりする。

AさんにもBさんにも悪意はない。

そして世の中のたくさんのBさんがネットに「ぬい撮りって気持ち悪い」と現実では吐き出せない愚痴を書き込むのである。

ネットマナーの話はひとまず置いておこう。

たしかに私が外でぬい撮りをしないのは「いい大人がお人形遊びなんて……」という視線が怖いからだ。

Bさんの気持ちはよく分かる。

もちろん、ぬい撮りを純粋に楽しみたいというAさんの心理もよく分かる。

さて。

書き込みをしているのは、じっさいに居心地の悪い思いをしたBさんだけにとどまらない。

世の中には暗黙の了解として「叩いていいもの」というジャンルがある。

ぬい撮りはそこに振り分けられているらしいので、とくに被害を被っていない人でも叩けるから叩いておくか的なノリで叩く場合もある。

いそがしい日常生活の中で積もり積もったストレスが「叩いていいもの」に向けられるのだろう。

「叩いていいもの」は無くならない。

歴史の教科書を読んでいてもネットを見ていても「叩けるものは叩けるときに叩けるだけ叩いておきましょう」という空気を感じる。

しかし、ぬい撮りが永久に「叩いていいもの」として振り分けられているわけではない。

世の中の価値観はひょんな出来事で180度変わるものだ。

新型コロナウイルスの登場によって、突然ひきこもり生活が絶賛され始めたように。

もしメディアが「ぬい撮りをする大人こそ教養と知性にあふれている」とゴリゴリに主張すれば、今ある価値観なんてすぐに変わってしまうだろう。

いかした雑誌に旬の俳優たちがそれぞれぬいぐるみを抱えて登場し、バラエティ番組に登場する芸能人はみんな膝にぬいぐるみを載せている。

世界中のセレブが一流ホテルでぬい撮りをする。

気づいた時にはノーベル賞の授賞式に出席する人がみんなぬいぐるみを連れている。

街中でぬい撮りする人がめちゃくちゃに増え、ぬい撮りという単語について議論が交わされることもなくなり、ぬい撮りが完全に風景の一部になっていちいち視線を集めることもなくなる。

Aさんは心置きなくぬい撮りできて、Bさんも心穏やかに自分の食事を楽しめる。

たとえば「オタク」という単語は、こういう過程をたどりつつあるんじゃないかと思う。あと数十年もすれば日本の伝統芸能並みの立ち位置をゲットするかもしれない。

しかしそうなっても、「叩いていいもの」が無くなるわけではない。

そんなもんだと思う。